「何故?」を考えない学生達

芥川 「 さあて、ここにある看板には英語のほかに、韓国語、中国語も書かれています。

以前には、英語しか書かれていませんでした。みなさん、何故でしょう?」


生徒A 「 え?そうだなあ、みんな日本に興味を持ち出したってことかな?」


生徒B 「 お金持ちになったってことじゃないかな。日本に観光に来るようになったりってことだしさ。」


芥川 「 水野さんは、どう思いますか。何故でしょう?」


水野 「 ええ?わかんないよ。」


芥川 「 『 何故 』 でしょうか?」


水野 「 何故何故って、うるさいなもう。ああ!面倒くさい!!」


芥川 「『うるさい。』 『面倒くさい』。水野さん、だから、あなたは今まで『バカ』だったんです。」


上で紹介した会話は、ドラゴン桜っていうドラマで、

受験「戦争」を題材にしているんですが、

1年で偏差値30台の学生を東大に受からせるっていう内容です。

かなり、考えさせられる内容でした。


「もう駄目です。」と実習段階であきらめる実習生達


最近、病院で働いている友人からこんな話を聞きました。

実習生が、根をあげてしまい、「これ以上できません」と。


以前も、実習後2人退学していったのだといいます。

患者の集団の中にポーンと入れられて放置されて、

その中で自分がどう振る舞い患者とどう接すればわからず

パニック状態、コチコチに緊張、そして、挫折感一杯だった。



「もう駄目です」



私 「んで、○○ちゃん、それ聞いて、君はどう思ったの? 」


友人 「実習で患者たちの中に上手く溶け込めないから、

『もう駄目です』などという人は絶対に挫折させてはいけない。

そんなことで挫折を許してたらその実習生は二度と這いあがれなくなる。」


『何故?』の階段


何故、『うるさい!』『面倒くさい!』『もう駄目です』なんでしょうか?


『うるさいものはうるさい。』

『面倒くさいものは面倒くさい。』

『もう駄目だと思ったものは駄目。』


つまり、『すでにあきらめてる』から。


俗に言う『負け組み』なんていわれる典型的なパターン思考がこれだと思います。

はじめから戦いを放棄しているが故の『負け』です。


一方、ドラゴン桜に出てくる所謂『勝ち組』の国語講師芥川は以下のように言います。


芥川 「問題に直面したとき、『何故か?』を考えてみる。

そして、その後で、自分なりの『論理』を構築してみる。 」


「論理」の意味。


大辞泉によると以下のようになっています。


1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。

思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」


2 事物の間にある法則的な連関。


3 「論理学」の略。
類語
理(り)、条理、筋(すじ)、筋道、理路、論法、推理、純理、理法、
ロジック、理論、セオリー、原理、プリンシプル、公理、定理、理屈



「問題に直面したとき『 何故か? 』を考えてみる。」


では、何故、「 何故? 」を考える必要があるのでしょうか?


それは、自分が直面している問題の下に隠れている「本質」を

えぐり出すためでしょう。


本,木下曰本。(紀元119年『説文解字』より)

(本,木の下,曰く本。)


「本質」の「本」という漢字は、「木」と根の中心部分にあたる

「一」から成り立っています。


では、何故、「本質」をえぐりだす必要があるのでしょうか?


「地下」にある「本質」は、「地上にある」木という煩雑で

大きく扱いにくい問題の縮図である「種」ともいえるからです。


種の中に、木のすべてが含まれている。

人が単位時間当たりに一度に扱える問題の量には限界があります。



煩雑だった問題を量的に扱いやすい対象まで縮小すると、

対象に対して向ける「力」の向きを、そこに集中することができます。


ナイフが物を貫くことができるのは、先端の一点に力が集中しているからです。


煩雑な問題を「本質」という縮図まで落とすと、

「解決しよう」という「意志の力」の向きを、問題の急所にピンポイントで

集中できるようになります。


「あれもしなきゃ、これもしなきゃ、それもしなきゃ…大変!」


「あれ」、「これ」、「それ」、三つの事柄に分割すると、何がおきるか?


意志力の分散です。



あれをやったら、これとそれが手付かず、

これをやったら、あれとそれが手付かず、

それをやったら、あれとこれが手付かず。


そこで、「あれ」も「これ」も「それ」も統合する本質「一つの絵」に

「力を収斂する」必要が出てきます。


一方で一つのことをやることにより、他方であれもこれもそれもする。


次回は、「本質からの論理の構築」というテーマについて話します。

「一つの絵を頭の中に思い描いたとき、『あれ』と『これ』と『それ』らが、

頭の中でどう動いているのか。」それを「見せます」。


一生を左右する力を持つ知識といえるかもしれないです。

ではまた。

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阿部拝

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