天地人の秘密

論語にこんな一節がある。


子曰。朝聞道。夕死可矣。
朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。


ほとんどの論語解説書では、このように解釈されている。

「朝に道を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも 後悔しない。
つまり、真理を求める尊さをいう。」



「真理を求める尊さ」は言外に読めなくもないが、
前提の「朝聞道。夕死可矣。」の解釈がずれている。

中国の紀元前後の古典は、通常、天地人、つまり、
太極図から解釈する。


    【天】
  →  昼 →
↑    南    ↓
朝東  【人】  西夕
↑    北    ↓  
   ← 夜 ←
    【地】


以上は太極の流転なわけだから、孔子は「夕後の死」という
「停止」を言っているのではなく、「再生」を象徴している。



そもそも、生物の本能として、「誰が朝に真理を知っただけで
死んでもいい」となるだろうか。


(【満足】という概念は天地人から考えると、
自然の法則に沿っていない(これを【逆】という)。
自然は常なること無しに、変化し続ける太極の流転。)



以上の図が以下の一節にも当てはまる。


爲政以徳、譬如北辰居 其所、而衆星共之。 
政を為すに徳を以てすれば、たとえば北辰 の其の所に居て
衆星のこれにむかうがごとし。 


要するに、徳によって政治を為すとは、
北極星の位置にいるようなもので、その位置取りをすることで、
その位置を中心として周りの星が回りだす。

この至高の徳を「仁」と位置づける。


つまり、*最も影響力がある*ということですよ、「仁」は。

何を言っているか、わかりますね?


あなた:
「つまり、バル!という滅びの言葉も知らないといけないってことね?」


はい、それもあります。


要するに、「社会的情動が最も抽象度が高い」。

抽象性は具体性を包み込む関係にありますよね?

抽象概念は具体概念の裏に*隠れる*ものです。


だから、「仁」というのは全面に押し出すものでもない。


ヨンさまが女性に大いに持てたのは*さりげない優しさ*。

そこに「ビクンッ!」とくるわけですよ、女性は。


ヤフーでよくみますが、女性にモテるトップの男性タイプは

包容力のある人、誠実な人、優しい人ですね。


「包容力」「誠実」「優しさ」は全面に押し出すものじゃない。

押し付けるものでもない。


「私は包容力があります。そして誠実です!更に優しいです!」って、

誰、信じるんだよ、となりますね。これ営業にも言えます。



※中国医学やアーユルヴェーダを学んでいる人は、この図から
各経穴、チャクラとの関係の含みなども学べるということです。
仁の色はまた黄なんです。私の経験からいうと。
(インドでは牛の声は「モー」じゃなくて、「オーム」だから
聖なる動物なんですよ。セイント聖矢のシャカの「オーム」の威力を
思い出してください)


ここから「中華思想」を考えると、

「俺が世界の中心!俺、イッチバーンッ!!」

って、オレオレじゃないから。



古代の天才たちがそんな自己中な馬鹿なわけないでしょう。
誰そんな自己中人間の周りを廻りますか?



孔子が、孫子が、黄帝が、過去の天才たちが、そんなこと言ってたら、
そもそも3千年の時を越えて、世界中の人々に(特に、日中韓)、
尊敬され続け、残り続けることはありえない。


3千年間、人々は彼ら古代人の周りを廻り続けているんですよ。
あなたは、それはどういうことだと思いますか?


(ちなみに、論語はアメリカのCIAも研究していますね。
簡単に字面を読めば理解できるものではないです。論語は儒教の
あらゆる種々様々な論争を経た後にまとまった【結論】だからです。
「理解」とは「under:下で+stand:支える」つまり、その結論を
支えている背景を知ることも含まれます。)


※「under:下で+stand:支える」の英語本質実践講座
http://eigohonshitu.sakura.ne.jp/wulun/


「オレオレ中華思想」を考えているのは、自身の文化をよく
理解していない中国人です。「自分は馬鹿です」と同義語です。

こういってやると、
得意げな顔をした中国人はあなたの前で顔を赤らめることになるでしょう。




<編集後記~天地人と陰陽~>

陽:外、出、無形
中:間、出入、
陰:内、入、有形


天:頭頂:経穴百会は気が「出」る噴水。
人:鼻は有形無形物が「出」「入」りする。
地:口は有形物が「入」る。


頭:天
胴:人
足:地


太極拳は人体で自然界の様々な現象を表現する。

俺の先生はよく、「気勢だ。精神で動作を表現しなさい」と常に言う。


「ポジティブな感情なときはポジティブな動作になるし、
ネガティブな感情なときはネガティブな動作になる。」


雲手では大空の雲を動かすように、
海底針では深い海の底に突き進むように。

一つ一つの動作の名前は、創始者が無駄につけたものではない。


名不正則言不順,言不順則事不成。(論語)
※「順」とは自然の法則に即しているということ。

仁と太極拳の関連、そして、
その感情が生活の隅々まで与えるあらゆる影響…


有形の体と無形の言を使い、自然界の無意識の感情を人心に
顕在化させるのが、太極拳が動禅といわれる所以の一つだと思っている。



阿部拝

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